本年度の研究実績は以下の2つである。1つは、曹洞宗三祖義介に関するものである。義介というと、永平寺に「密教的」要素を導入したため、永平寺を退任せざるをえなかった、と従来云われてきた。しかし、義介が永平寺に導入したものは、土地神・五躯神・粥罷諷経である。土地神・粥罷諷経は、道元も認めているものである。五躯神は、当時の禅寺で一般的に祀られていたものと考えられる。義介が導入したものは、道元を継承したものであったり、また、当時の禅寺の風習であったりする。義介は永平寺に「密教的」要素を導入した訳ではない。(「義介は永平寺に「密教的」要素を導入したのか?」東隆眞編『徹通義介禅師研究』大法輪閣平成18年)このことは義介が中国から持ち帰ったとされる五山十刹図からも分かるが、五山十刹図の分析は次年度の課題である。また、本研究成果から、地蔵信仰等の積極的導入は峨山以降と推定されるが、このことも次年度の課題である。 もう一つは、中世地蔵信仰と曹洞宗の神人化度説話との関連である。中世地蔵信仰の特徴として、地蔵が生身で現れることが挙げられる。生身で現れる仏・菩薩は、地蔵のみではないが、現世の人々と密接な交流をするのは地蔵の特徴と言える。これに対し、曹洞宗が地方に展開する際に、神人化度説話を活用していたことが先行研究で指摘されている。これは、在地の神が人となって、曹洞宗の僧の前に現れ、説教を聞き、入信する、というものである。しかしながら、日本書記・古事記等を見ても、日本の神々が人の姿を取る、という現象は見られない。したがって、神が人の姿を取る、という現象の背景に生身の地蔵等仏教の化身思想を想定すべきある。(「日本古代・中世の地蔵信仰受容」第55回倫理学研究会にて口頭発表)
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