平成20年度の研究成果は以下の2点である。 (1)本研究の集大成として、峨山(1275-1366)の孫弟子の地蔵信仰受容を取り上げた。というのも峨山の弟子に於いて、地蔵信仰を有する者もいたが、その職能は概して、あいまいであった。これに対し、峨山の孫弟子の地蔵信仰に於いて、その職能は明確となったからである。大徹の弟子、竺山(1344-1413)は19才の時、夢で地獄に堕ちそうになり、地蔵に救済され、これを契機に出家をした。そのため、竺山は地蔵を葬祭儀礼に活用していた。無端(?-1387)の弟子、瑞巌(1343-1424?)も地蔵を葬祭儀礼に活用していた。通幻(1322-91)の弟子、普済(1347-1408)は総持寺門前に地蔵像を造立するにあたり、当該の地蔵像を死者救済の菩薩と位置づけた。峨山の孫弟子、という時代区分がどこまで有効か留意すべきではある。しかしながら、先行研究において、曹洞宗は1400年代以降葬祭儀礼を活用されるようになったとされている。とすると、峨山の孫弟子の活動年代=1400年代前半を時代区分とすることは、ある程度首肯されよう。 (2)本研究開始以来の課題であった、五山十刹図に関し、論文をまとめた。諸本を比較対照するに、大乗寺本→東福寺本という説を提唱し、将来者はやはり曹洞宗三祖義介(1219-1309)ではないか、という結論に至った。本研究との関連で云えば、五山十刹図には地蔵堂の記載がなく、曹洞宗寺院の地蔵堂は日本独自のものということが分かった。
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