平成19年度は宗教的多元主義に対する改革派認識論の応答について考察した。宗教の多元主義的状況、即ち、数多くの論理的に共立不可能な宗教がこの世界に存在しているという事実に直面して、改革派認識論者は「排他主義」を主張する。だが、宗教的多元主義は古典的キリスト教の排他的受容可能性を打ち破る条件となり得ないのだろうか。改革派認識論の主要な目的は有神論的信念の合理的受容可能性を弁護することにあるので、この問題に答える必要がある。 改革派認識論の主導者であるアルヴィン・プランティンガは、宗教的多元主義から投げ掛けられる「宗教の多元主義的状況は古典的キリスト教が真であると信ぜられる確率を減ずる」という挑戦と、「無数の多種多様な宗教に直面しながら或る特定の宗教的信念体系を抱き続けるのは道徳的に、或いは認識的に恣意的であり、傲慢ですらある」という批判に対し、「キリスト教の諸信念はキリスト者にとっては、他宗教の諸信念にはない保証、即ち知識の源泉を有しているので、両者は認識的に同等ではなく、前者を排他的に抱き続けるのは正当である」と応じている。しかし、それはあくまで「キリスト者にとって」という条件付きのことである。改革派認識論によれば、キリスト者にとってはキリスト教を排他的に信仰することが論理的なのであり、この主張を敷術すれば、他宗教の信徒にとっては各自の宗教を排他的に信仰することが論理的になる。従って、改革派認識論の主張する排他主義は「相対的排他主義」とでも呼ぶべきものであり、このような立場からは宗教間対話は促進されないであろうが、「住み分け」という形での諸宗教の共存は帰結することになる。
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