研究概要 |
平成19年度は、田邊元の「種の論理」を取り上げ、ヤスパースの思想と比較した。田邊における「種」は、歴史的に形成される具体的な人間の社会であり、絶対者と自己存在の関わりにおいて大きな役割を果たしている。この点、超越者と実存の関わりの論究において、交わりの意義を重視したヤスパースの思想と通底するところがある。ここでは、田邊の種の論理とヤスパースの交わり思想の双方とも「非対象的思惟」という特徴を持つことに焦点を当てる。「非対象的思惟」(ungegenstandliches Denken, nonobjective thinking)または「理性的非論理」(vernuftige Alogik, intellectual illogic)は、ヤスパースの用語であり、同一性的論理を超えたものに「理性」が到達しようとする際に必然的に生ずるという。非対象的思惟は、対象的認識を用いつつ、それを打ち消す働きを伴い、その打ち消しが、形式的には逆説、矛盾、背理となる。種の論理は否定・対立を介して運動・変化する現実を捉える「絶対弁証法」であり、主語と述語を「無」で媒介する「繋辞」の論理であり、自己存在の「自由」な行為の論理である。ヤスパースにおける実存も、対象的存在と超越者との、また実存と実存との対立・矛盾などを越え、「想像」の働きにより現実の深層を展望し、超越者に向う自由を本質とする。従って、田邊の種の論理もヤスパースの実存に関する思想も、自己存在が同一性論理を媒介としつつも、現実における行為により弁証法的に現実の根底である絶対者に一致しようとするあり様を、捉えようとした思惟であると言えよう。他方、田邊の種の論理とヤスパースの実存に関する思想の相違点は、種の論理では個人と社会の関わりに焦点が当てられ、ヤスパースの実存思想では実存同士の関わりに焦点が当てられている点である。
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