本年度は近代天文学の概要の把握とともに、近代科学の展開の特徴を検討した。これを踏まえて、天文学ニュートン主義の宇宙論とのかかわりを検討することを目指した。その結果、本年度の研究では次年度以後の研究の前提となる基礎的資料、知識の集積に並んで、とくに以下の新しい知見が得られた。 1.18世紀から19世紀にかけての西欧、とくにイギリスとフランスでの科学の発展を比較することによって、科学の近代的知としての確立が、統治の知への組み込みとして展開したこと、そして英仏それぞれの国家形成と、国家と教会との関係の違いから、両国の科学のあり方の相違が生まれてきたこと、19世紀における経済学を含む社会科学の成立が、このような過程と密接に関係し、そこから固有の性格を得ていたこと、同時期の日本と朝鮮を比較すると、儒学の統治の知としてのあり方の違いから、日本は科学的・技術的知を統治の中に統合しやすい土壌を持っていたことなど、ニュートン主義の背景と、その19世紀への展開を比較思想史的に分析する社会史的背景が明確になった。 2.19世紀の複数性論争の検討を通じて、自然神学と科学的議論を交差させるという点で複数性にかかわる論法が17世紀と基本的に同一であること、19世紀末からの複数性論の衰退の科学的根拠が必ずしも明らかでないこと、複数性の弁証論には帰納法の問題が深くかかわっていることなど、複数性問題を扱う基礎的な事実が確認できた。また地動説が主流ではない古代思想でも複数性論は一般的に見られることを考えると、近代における複数性論の復活は、宇宙論の有限から無限への転換というコイレの古典的な定式化にしたがうというより、プトレマイオス体系の成功により議論の前面から消えていた複数性論が反アリストテレス主義に伴い復活したと見るべきという視点が得られた。 3.ニュートン主義は江戸後期にも到来していたが、その内容が自然神学的な複数性論をも含んでいたことが確認できた。またそれは、キリスト教的自然神学とはことなった儒教的自然観に基づいて、再構成された形で存在した。その証拠は第一に、18世紀末の志筑忠雄の『暦象新書』に見られるJohn Keillの自由な訳の中での記述、およびそこでの志筑自身による宇宙論、宇宙生成論に見られる。この観念が広く流布したことは、幕末の医師、科学啓蒙家だった吉雄常三の版を重ねたニュートン主義の啓蒙書『理学入式遠西観象図説』の内容によって明らかである。この事実は、宇宙論的人間主義という点から、ニュートン主義を軸に西欧と東アジアの比較を行ない、それによってニュートン主義の18世紀思想としての独自性を文明史的視点から解明する契機となる視点を与えるといえよう。
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