研究概要 |
7月に北京で開催された国際科学史学会のシンポジウム:International Networks, Exchange and Circulation of Knowledge in Life Sciences,18^<th> to 20^<th> Centuriesで、「モンペリエ学派における生気論的生物観の形成と中国医学」という題目の報告(フランス語)を予定通り行った。そこで、(1)中国医学受容に当たって二つのルート----中国ルート(脈診中心)と日本ルート(鍼灸中心)----があったこと、(2)それらが18世紀半ばまで別々に受容されていたが、『百科全書』において両者を総合する方向性が始めてとられたこと、(3)メニュレの長大な項目「脈」が中国脈学とそれが依拠する身体観の解説に全体の2割を越える分量を割いていること、(4)1760年前後に執筆されたと思われるメニュレの『百科全書』項目群を通じて、ラ・カーズやボルドゥにおいてはまだ曖昧だった生気論特有の有機的全体論的身体観が確立されていったこと、(5)その際に中国脈学の全体論的身体観が、当時主流だった機械論的身体観を批判して、アニミズム、ハラーの被刺激性と構造機能的身体観、淡水ポリプの再生現象などとともに、生気論的身体観成立に寄与したことを発表した。その際に、中国やヨーロッパの多くの研究者と情報交換を行うことができた。このシンポジウムの報告集の出版が、Archives Internationales d'Histoire des Sciencesの特集号として予定されており、現在そのための論文執筆中である。その過程で、メニュレのみならず、ボルドゥ、ミシェル、フーケなどモンペリエ学派の脈論を読み、脈学への関心が初期モンペリエ生気論に一貫して存在したこと、その背後には、脈を単に心臓ポンプの活動の受動的結果としてではなく、身体諸器官の有り様全体を示すしるしとして症候論的に読み取ろうとする姿勢と全体論的身体観があることが解明できた。
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