これまでレンブラントやその同時代の画家たちの手になるさまざまな女性表現-娘から老女にいたるまで-をとりあげ研究を遂行してきた。女性たちが統べる領域は家庭という小さな世界であったが、それはけっしてとるに足りない矮小な世界などではなかった。オランダの風俗画にあって女性たちは絵の中心的役割をはたしていた。しかも聖女でも神話のなかの悪女でもなく、どこにでもいるようなごく平凡な女性たちであり、かの女たちは生き生きとした姿で描かれていたのである。この点において十七世紀オランダ風俗画は水際だっている。 オランダ絵画は宗教や神話や寓意を説明する役割から解放され、外界を写し取るのではなく、人間のありさまを詩的な想像力によって目に見える形に変容させたものだと見抜いたのは、さすがにヘーゲルの炯眼である。リアリズムとは、共同体としての精神が産みだそうとする世界を、ありうべきこととしてその共同体を構成する人々に受け入れさせる手段であり、絵はその手段を用いてまだ存在していない、いわば仮想を現実として描きだし、逆に現実が仮想としての絵をシミュレート(模倣)することになるのである。 したがって、ヘーゲルがオランダ絵画に見たものは、たんなる外界の描写ということとは距離がある。そればかりではない。表現されたイメージの意味は、聖書や神話や寓話などの文書テクストによってくまなく説明することができるものでもない。いいかえると、それは、共同体をつつむ精神(民族性、イデオロギー、政治性、経済、社会性、ジェンダーなど)が、絵のなかに目に見えるかたちであらわされているのである。したがって、こうした市民が主役となった日常の、とるに足りない些細な情景でありながら、聖書や神話といった物語の世界にまさるとも劣らないものとして描かれた絵画にこそ、「オランダ的なもの」が表現されたのである。
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