本研究の目的は、鶴林寺(兵庫県加古川市)の国宝太子堂内部に描かれている絵画群について、第一にその全図様を把握し、第二に表現や技法の検討を通じて、絵画史上の位置付けを明確化することにあった。荘厳画は、(1)来迎壁の表裏、(2)四天柱、(3)四天柱筋上小壁、(4)側柱筋上小壁、(5)格狭間、(6)東壁春日厨子内壁に分別できるが、(6)以外は永年の薫煙等が画面上を厚く覆い、黒化して、肉眼による識別はほとんど不可能な状態にある。そこで、最新のデジタル撮影装置を駆使して膨大なデータを収集したが、本年度はこれらをパソコンによって合成した復元的図様について、主に表現・技法の観点から詳細に分析した。また、石山寺所蔵重要文化財絹本著色仏涅槃図など、特に線描の質の比較考察に有効な資料をも検証した結果、以下のような成果を得た。 荘厳画の図様は、(1)が表面に九品来迎図、裏面に仏涅槃図。(2)が東柱に八菩薩・十二神将、南柱に二菩薩・十羅刹女・八部衆、西柱に倶利迦羅龍剣・五童子、北柱に不動明王・三童子・五部使者・孔雀明王。(3)が飛天と楽器。(4)が千仏。(5)が獅子・麒麟等霊獣。(6)が聖徳太子毘沙門天感応霊験図といった内容であることが確かめられたが、これらの表現は(4)を除き、童子の指や耳の細部、雲や蓮弁のふくらみ、巴文の多様など極めてよく共通していて、すべてが卓抜した技量を誇る一人の画家によって主導されたことを窺わしめる。その異国的描写は、藤原道長の頃に盛んに輸入された北宋の影響を強く感じさせ、古い粉本に拠ることが想定されるが、鋭い打ち込みや抑揚を強調して線描自体に表情を持たせる特徴は、1200年頃の石山寺本には未だ不慣れな点があるのに対し、荘厳画の線描は習熟度の頂点に達しており、その制作は定説の天永3年(1112)ではなく、太子堂改築修理の宝治3年(1249)であることが証明できた。
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