インドにおいて、研究対象であるタンジャヴールのブリハディーシュヴァラ寺本殿回廊壁画及び境内回廊壁画を調査した。前者はチョーラ朝下の11世紀前半に、また後者はナーヤカ朝下の17世紀に描かれたものである。なお前者は、多くの部分でナーヤカ朝の時期に描かれた後代の壁画に覆われている。それとは別に主として南部インドにおいて、石窟寺院を含む他のヒンドゥー教寺院及び壁画についても関連調査を実施した。主たる研究対象であるブリハディーシュヴァラ寺壁画のうち、前者に関しては、条件が厳しく本年度のみでは充分な調査が行えなかったが、関連調査を行った9世紀のシッタンナヴァーシャル石窟壁画などとの比較から、表面に薄く漆喰を塗布し乾燥する前に接着剤を含まない顔料で描く方法によると考えられる。つまり南部インド固有のフレスコ画法と見られる。特に薄い層をなして剥落している状況から、そのことが推測出来る。恐らく、紀元前後から2・3世紀にかけて南部インドがローマと交易を通じて密接な関係にあり、それによりフレスコ技法が伝播し以後永く受け継がれたものと思われる。かかる技法は、南部インド以外には認められない。また様式面で前者は、制作時期が比較的遅いにも拘わらず、9世紀のシッタンナヴァーシャル石窟壁画などと決定的な差違を呈していない。つまりインドの他地域に比べて、中世的な様式展開が緩やかで、古代の古典的規範に基づく特質をある程度保持していると言える。人体表現、取り分け顔貌描写にその点がよく示されている。即ち古代と異なり中世になると、人物の顔の向きは画一化され、細かな描き分けが見られなくなるが、前者では、微妙な向きに描かれた顔が確認出来るのである。後者に関しては、中世末の特質が判然と現れていると共に、剥落状況から技法面でもフレスコでなくテンペラによると推察される。
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