ローマのサン・ルカ美術アカデミーについて、フィレンツェ素描アカデミー、フランスの王立絵画彫刻アカデミーの展開などを勘案し、比較制度論の視座を意識しつつ、その特質を考察した。 まず、報告1に示したように、サン・ルカ美術アカデミー以前から存在した、ローマの美術家たちを中心とする同信会ヴィルトゥオージ・アル・パンテオン会(会員はサン・ルカ美術アカデミーの会員とも重なっている)について検討し、職能別ギルド、そして職能を超えた同信会から、芸術家の統合体としての美術アカデミーへという芸術制度の推移を象徴する、その過渡的な形態を検討した。 次に報告2に見られるように、ローマおよびフィレンツェの両アカデミーを比較対照させ、規約や教育活動の類似と差異を検討し、とくにローマの美術アカデミーにおける、芸術家の肖像画蒐集・制作や、1663年以降のコンクールという、フィレンツェには見られない活動を再検討した。とくに後者は、ルイ14世=コルベール時代のフランスの文化政策の影響を無視しては理解し難く、同時期にコジモ3世のフィレンツェもまたローマにアカデミーのサテライトを設けたことも、これと同根と見られていたことを跡付けた。 これらを踏まえて、ローマにおけるアカデミー芸術のイデオロギーを、1682年頃のカルロ、マラッタ自身の素描に注目して検討し、そこで無意識の前提とされている、基礎訓練やスキエンツィアを自明の前提としつつ、古代彫刻、ルネサンス美術の至高性、そして何よりもそれらの内部におけるモダニティの発露を意図したカノンという、ローマの古典主義自体の枠組みは、現実には保守的にも革新的にも転化しうるものたりうる所以を再検討した。
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