平成18年度は以下の調査を行った。 (1)金勝寺男神像1躯、女神像1躯(滋賀県立琵琶湖文化館寄託) 男神像はカヤ。坐報は結跏趺坐とするが右膝をやや高くすることを確認。薬師寺八幡神像と同様である。また寺伝では僧形八幡神像とする。したがって八幡神像としてよいのではないか。9世紀。女神像はヒノキ。右膝を立て、左足を横に倒すが両足先部が欠損していて足を重ねるかは不明。背面から見ると円座のようなものに座するとも見える。9世紀。男神像とは1具ではない。 (2)金勝寺男神像5躯、僧形神像2躯(栗東歴史民俗博物館寄託) 男神像は11〜12世紀。僧形神像は10〜11世紀。僧形神像は脚部を表わし、一躯は結跏趺坐、一躯は別材矧付。 (3)小槻神社男神像2躯(〃) 2躯とも木芯を含んだヒノキ丸彫り。1躯は結跏趺坐、1躯は跪坐。9世紀。 (4)大宝神社男神像12躯、女神像1躯、男神像残欠1躯、(〃) 20〜40cmの小像群。脚部なし。12世紀。 (5)八坂神社随神像5躯、(〃) 50cm内外の神像群。両膝を前に出して坐す。12世紀。 (6)椿神社僧形神像4躯、(〃) 20〜45cmの神像群。傷みが目立つ。12世紀。 (7)正楽寺兜跋毘沙門天像4躯、(正楽寺) 4躯のうち1躯の毘沙門天の両足を支える天女が明らかに両膝を表わしており、したがって天女部だけに注目すると女神像のようにみえる。他の3躯も脚部らしき膨らみを表わしている。兜跋毘沙門像に女神像が加わるという変容が起きたことになり、その理由の解明が今後の課題となる。11世紀。 (8)正楽寺兜跋毘沙門天小像(高浜町郷土資料館寄託) 30cm内外の8躯の簡素な兜跋毘沙門天像。兜跋毘沙門天像の民間信仰化という意味で貴重な資料である。兜跋毘沙門天信仰の解明の手がかりとなろう。11世紀。
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