西洋絵画は近世以降、物語性に即して線描・明暗・色彩を統合して自然主義的な再現を実践してきた。しかし、1800年頃に始まる近代では、19世紀後半の印象主義の登場や20世紀初頭の抽象絵画の成立が告げるように、色彩表現が圧倒的に重要な役割を演じるようになる。こうした近代の色彩表現に関して、従来、補色をはじめとする「色彩の現れ方(見え方)」、すなわち色彩の自律的価値の重視が指摘されてきた。しかし、そうした見解は、間違いでないものの、絵画の近代性を解明する概念装置としては不十分だと考えざるをえない。なぜなら、そうした指摘は、絵画の技法的な変革を説明する域をこえず、近代絵画における作品構造の変革そのものを解明しえないからである。 われわれが本研究で「色彩メディア」概念をあえて使用するのは、作品構造の変革に対応する色彩表現の変容を追究するためにほかならない。その意味で、本研究では、「オーバーラップ」をキー概念として提示する。印象主義時代に始まる点描やクロワソニスムは、本質的には、色彩を重層化、オーバーラップする方法以外の何ものでもない。点描やクロワソニスムについて、画面平面内のある色相と他の色相とのコントラストや視覚混合がこれまで重視されてきた。しかし、そうではない。ある画面層内における色彩の関係づけにとどまらず、その画面層と別種の関係づけをもつ他の画面層とを重ねることが重要なのだ。つまり、色彩の関係化の関係化が問題なのである。それをオーバーラップと呼ぶ。この方法は言い換えれば、画面層そのもののオーバーラップ、つまり、画面のポリフォーカス化を含意する。すなわち、オーバーラップとはコラージュと呼ばれる画面の多重化と理解されがちだが、じつは色彩のオーバーラップが先導する作品構造の変革の帰結なのである。セザンヌからピカソに連続する表現革新は一般に、色彩とは無関係に論じられるが、そうではない。また、開かれた作品として特徴づけられる近代美術の特性も、色彩とは別次元で理解されてきたが、そうした理解も不十分なのである。本研究は、19世紀後半からの色彩研究の一次資料をドイツ・スイスにて実証的に調査し、その資料の分析にもとづき、色彩メディアのもつ絵画における特性を「オーバーラップ」と統括し、色彩のオーバーラップこそ、近代絵画の作品構造の変革をも照らしだすとの、新しい視座を提起するものである。なお、パウル・クレーの色彩研究ほかを網羅するわが国のクレー研究に関する国際的な出版は、スイス・ドイツの研究者と協力して基礎作業をおえた。この成果をふまえて、本年もしくは来年に刊行を予定している。
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