本研究の目的は、美学がどのように日本固有の問題関心と学問的形式化・制度化によって定着してきたかをみることにあるが、その具体例として岡崎義恵による美学的文芸学の成果を評価する。国文学と美学とのかかわりに関する日本近代の学問史は、一方で国文学が明治以前の国学の伝統からの脱皮・近代的学問形態の模索をしたのに対し、他方で美学は輸入された翻訳学として展開されてきた。岡崎義恵による日本文芸学の提唱がなされるまでに、近代日本(明治以降)の国文学はいくつかの画期的な展開を見せてきた。まずは、江戸期の国学からどのようにして近代的体裁を整えた学問としての国文学へと整備すべきかという課題があったが、芳賀矢一によってドイツ文献学に倣って文献学的国文学の方向が示された。つづいて、文献学的限定に留まらず、文芸としての国文学研究が目指されて、ドイツ文芸学の成果を摂取して垣内松三などによる文芸学的国文学が提示されるようになる。さらに、文芸的価値を主題的に論究することをめざして、同じくドイツ文芸学的美学を範として岡崎義恵による日本文芸学の構想が展開される。以上のような、国学-文献学的国文学-文芸学的国文学-日本文芸学、という流れが確認できる。その展開は、国学の持つ雑学性、無批判的研究態度、非体系的な学問、という側面を克服して、半ば西洋の学問の持つ合理的・批判的・体系的性格を日本の文学研究にも樹立させようとする試みである。たしかに、岡崎文芸学とも称される日本文芸学の生成は、岡崎個人の独特の個性に依存する面も強いが、しかし日本の近代化の中で近代以前の国学をどう止揚させようかとする努力の必然的成果でもある。そうした傾向が、とりわけドイツの文芸学的美学に接近するわけであるが、それもまた一契機として、日本の文化的伝統からの内在的美学の成立が示唆されているとも考えられよう。
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