2年目においては引き続き資料収集を行い、そしてそのなかから『日独文化』を中心として論文にまとめた。資料収集については次のとおりである。国内では、1)日独文化協会関連の資料を中心にして国会図書館、早稲田大学図書館において調査し、複写した。その際にデスクワークにて『日独文化』の資料的価値を見出したが、すべてが揃わなかった。2)残りの『日独文化』を九州大学、天理大学にて入手した。3)昨年よりすすめていた1939年から45年までの朝日新聞の残りを複写した。ドイツにおいては1)ウィーン国立図書館にて日独文化関連め一次資料の調査をおこない、関連資料を複写した。2)ミュンヒェン州立図書館、中央美術史研究所においてひきつづき1939年以後の日本美術関連の資料を収集した。3)ミュンヒェン市立文書館においてこれまで知られていなかった1909年の日本美術展覧会関連の写真を調べ、入手した。4)ベルリン連邦フィルム公文書館でこれまで知られていなかった1939年の伯林日本古美術展のニュースの存在を確認し実見した。今年度の資料調査において1939年以後の日独美術交流を裏付ける資料として、特に日独文化協会の発行する『日独文化』が重要な媒体であったことが推察されたため、デスクワークにて考察をすすめ、その結果を「ドイツ第三帝国における日独文化交流と日本美術-日独文化協会発行『日独文化』を資料にして」のタイトルで、1940年から終戦に向けて美術にかわって演劇や映画が重要な媒介として利用されるようになったことをまとめた。今年度のドイツでの資料調査を行うなかから、1939年のベルリンで開催された日本古美術展にかかわる重要な一次資料を発見することができた。それは、展覧会を紹介する当時の映像ニュースであるが、そこにはヒトラーの姿があり、新聞だけでは読み取ることのできない戦略的な映像として重要な考察資料といえる。この資料はまだ日独両方で知られていない。これに関しては次年度で分析し、論文にまとめる予定でいる。
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