今年度は戦前のジャズ喫茶、日本のスウィング時代(昭和10年代)、そして「日本的ジャズ」の概念について研究した。珍しい輸入レコードを主な特徴とする音楽喫茶は昭和初年、大学生が尖端文化のヒーローとなった時期に都市部に登場した。そのうちジャズを専門にかける喫茶店(ジャズ喫茶)は学生街、繁華街に多く生まれ、高級オーディオ、女給、インテリアとセットでアメリカ志向の学生を集めた。このような複製技術を介したスウィング受容は、日本の大きな特徴である。バンドはダンスホールが主な演奏場所で、なかなかスウィングのような音楽的に高度な演奏は受け入れられなかった(踊り手は即興演奏についていけなかった)。 スウィングはアメリカでは演奏家の肌の色、演奏スタイルの「人種性」が問われたが、日本でも黒人音楽好き、嫌いが登場し、「人種的偏見」にもとづく批評を書いた。これは来日した黒人バンドの評価にも現れた。すぐれた黒人演奏家も、既存の原始主義的な人種イメージ(非理知的、本能的、感覚的など)を覆すにはいたらなかった。それは当時いう「グロテスク」の概念と適合した。 ジャズは昭和初年以来、既存の旋律を新しい語法に編曲することが始まった。昭和10年代には国粋主義が台頭したこともあり、この試みは盛んになった。戦後は60年代後半、左翼運動とともに「日本的ジャズ」は再び提唱され、既存の旋律の編曲ではなく、和楽器との合奏、日本的な題名、ジャケット、旋法がよく用いられた。しかし一時的な流行に留まり、70年代後半からは日本的か否かは問題ではなくなった。あるときには極端に日本性を追求しても、それを維持発展する演奏家はいない。このようなシーンの動きを文化ナショナリズムとの関連で論じることがこれから要求されるだろう。
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