本年度はジャズ文学の概念を昭和初年の春陽堂の世界大都市尖端ジャズ文学叢書、新潮社のアメリカ尖端文学叢書、その他の資料から検討した。ジャズ的文体、ジャズ的出版、ジャズ的ファッションというような用法があり、ジャズが音楽、ダンスを越えて同時代のアメリカニズム、最新風俗の隠喩として機能していることがわかった。春陽堂の叢書の新聞広告では、川端康成の『浅草紅団』の「エロチシズムと、ジャズと・・・」と似た「と」で類縁性のある言葉を続ける文が採用されている。主語述語の文法は崩壊し、名詞だけが列記される文体を切迫調、ないしモンタージ文体と呼んだ。速度感のゆえにジャズを連想された。外来文化の日本化の根底には文化的翻訳があり、春陽堂の叢書よりベン・ヘクトの『シカゴ1001夜狂想曲』の翻訳文体、表記を精査し、谷譲次の『踊る地平線』のルビ、文体の類似性から、影響関係を調べた。 一方で「軽音楽」の概念を昭和10年代の音楽雑誌より検討し、いわゆるセミクラシック、入門向け洋楽としてのlight musicの翻訳語であると同時に、アメリカニズムに対する検閲が激しくなるにつれて、「ジャズ」の隠れみのになってきたことを明らかにした。多くのダンス音楽家にとって、ジャズをおおっぴらにできなくなった時期の窮余の策だった。放送協会の「軽音楽の時間」はこの概念の普及に力を貸した。軽音楽の概念は、在来曲(民謡、俗曲、わらべ唄など)のジャズ風編曲が果たしていた役割と似ている。ここでもどのようにして外来文化を在来の文脈に飼いならすかが問題になっている。アメリカ外のジャズ研究はこのように翻訳の問題として考える必要がある。
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