川端康成が長編小説『海の火祭』(昭和2・8〜12)に引用し援用した宗教関係の文献の調査を、国会図書館や古書購入の方法でおこない、新たに数点の文献を発見することができた。この成果については未だ公表していないものも多く、今後順次公表してゆくことになるが、たとえば成果報告書に付した小笠原義人一家の大本教への入信の経緯を明らかにする資料などは、若き日の川端の日記類を読むための資料として重要なものであると思われる。 一方、本研究はこうした実証的な調査に基づいて、川端文学の方法論的特徴を明らかにすることを目的としていたが、この方面においても、重要な知見を得ることができた。たとえば、若き日より晩年まで、川端は仏教経典「維摩経」と深い関わりがあったと認められるが、この現象において注目されることがらは、仏教を西洋哲学上の認識論的問題、または、言語論的問題と関連させて摂取されていることである。仏教のもつ東洋的な思想性が受容されていることに間違いはないが、同時に、西洋哲学の枠組みの中でそれが摂取されていることは注目すべきところである。川端文学は全般として認識論的問題が指摘でき、したがって、仏教の認識論的問題は、川端文学を成立させている要として措定できることが可能である。 以上のような知見については、一部を「新感覚派における認識論的問題の行方」および「川端文学における「仏教的なるもの」への一考察」と題して論文発表し、また、東京大学国語国文学会大会では「仏教的なるもの」と題して公開シンポジウムの講師を務めた。
|