本研究の目的は、文学理論で言う「読者の期待の地平」(文学テクストに対して、読者があらかじめ抱いている予測のようなもの)に対して、夏目漱石がどのように対応したのかを明らかにするところにある。このことによって、明治・大正期を代表する文学テクストのどこが時代と対応しており、どこが時代を超えていたかが理解できることになる。方法としては、当時新興の中産階級を読者層として想定していた「朝日新聞」の読者が読んだだろうと思われる雑書を分析して小説テクストと対応させ、その関係を明らかにした。 結論としては、夏目漱石は中産階級の「読者の期待の地平」を取り込むことで新聞の連載小説としての商品価値を高め、一方で、そのような「読者の期待の地平」を裏切ることで文学的価値を高めることを目指していたと考えられる。後者が、夏目漱石の文学が現在も価値を持つ大きな要素であると言うことができる。 一例を挙げれば、明治40年頃を作中の「現在」とする『三四郎』では、夏目漱石はヒロインの里美美禰子をいかにも「女学生」上がりの女性に仕立て上げた。これは、明治30年代に大流行した「女学生小説」にたいする「読者の期待の地平」を取り込んだものと言える。しかし、夏目漱石は里美美禰子を「女学生小説」のヒロインのようには「堕落」させず、家長である兄の意向を受けて、兄の友人である法学士と結婚させた。これは、当時中流家庭以上に育った女性の生き方を説いた「近代女訓もの」とでもいうべき書物に書かれた生き方そのものである。このことによって、多くの読者は「期待の地平」を一つに焦点化することが困難になったと考えられる。このようにして、夏目漱石は小説テクストを「読者の期待の地平」に即しながら、同時にそれを裏切ることで、小説テクストを時間による風化から守ったのである。
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