本研究は、二年間の計画で始めたものであるが、その出発に当たって、(1)「風景表象」の概念を明確に位置付けること、(2)日本の近代文学における典型的な「風景表象」の実例を、具体的な作家・作品を挙げつつ意味付けること、という二つの大きな課題が存在していた。研究に当たっては、(1)のともすると観念的な議論に終わってしまうものを極力排し、(2)の個個の作家・作品の分析に力を注いだ。 具体的な事例の中にこそ、後にまとめうる実相が存在すると考えたからである。「風景表象」は、実際の風景・自然に文学者がどう接したかが問題であり、そのために、2005年には伊豆地方を、2006年には三重県松阪や奈良地方の実地踏査を試みた。今回の研究の新しい成果は、以下の点である。 (1)近代文学の出発期における風景への接し方においては、それを言葉で表現する時には既成の表現技法・措辞の影響が顕著であり、特に宮崎湖処子などは漢文脈と洋文脈の狭間において模索する姿が顕著に見られる。 (2)水野葉舟の小品文は、これまで以上に注目されなければならない。文学性は必ずしも高くはないが、それは近代文学の成熟期の実相でもあったのであり、そこから近代文学表現史の課題が浮き彫りに出来る。今回、未発表の葉舟の大正期の日記を翻刻紹介出来たのは、大きな成果である。 (3)風景の「闇」は、明治・大正・昭和をトータルに見る時、大きな手がかりになるファクターである。永井荷風・水野葉舟・梶井基次郎の「闇」をたどって、新しい文学史も可能になるはずである。 (4)堀辰雄の描く「風景表象」は、昭和期において特徴的であり、伝統と新しい西洋との狭間でその文学活動を試みた堀にとって、基本的な問題である。 本研究は、さらに日本近代の思想史的なパースペクティヴを導入することで、さらに展開可能である。
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