研究概要 |
生体解剖論争が明るみに出したのは、動物の痛みにかんするヒューマニズム的な関心の存在から推測される動物愛護文化の確立であり、宗教性を離れて没道徳的に真実を追求しはじめた唯物論的な科学にたいするヴィクトリア朝人の不安と不信であり、その一方で、そのような不安と不信を前に己れの実践的有用性(宗教性・道徳性ではなく)を主張して自己正当化をはかろうとしていた科学の全体的傾向だった。 本年度は、唯物論的な科学にたいするヴィクトリア朝人の不安と不信を表象するイメージとしての、マッド・サイエンティストの科学者像を、後期ヴィクトリア朝の文学作品と歴史資料の双方から抽出した。 文学作品としては、The Island of Doctor Moreauのほか、The Invisible Man (H.G.Wells)、 The Picture of Dorian Gray (Oscar Wilde)、 Heart and Science (Wilkie Collins)、 "A Dog's Tale" (Mark Twain)など、歴史資料としてはThe Nineteenth Century,The Contemporary Review,The Fortnightly Reviewをはじめとする当時の総合雑誌の生体解剖関連の記事である。 もちろん、マッド・サイエンティストとしての科学者像というイメージ自体は、生体解剖論争に特有のものでも、この時代に特有なものでもない。したがって、Dr. Faustus (Marlowe)以降のマッド・サイエンティスト像の系譜をもたどりつつ、Frankenstein (Mary Shelley)、Dr.Jekyll and Mr.Hyde (Stevenson)といった作品もあつかった。そのうえで生体解剖に関わるテクストに特徴的なマッド・サイエンティスト像特有の要素を抽出したが、その成果は、「後期ヴィクトリア朝の科学批判」というタイトルのもと、日本英文学会北海道支部大会(2007年10月6日(土)札幌大学)において発表した。
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