本研究の目的は、1870年代なかばから急に活発化しはじめた生体解剖論争をとおして見えてくるヴィクトリア朝文化の諸相のうち、科学の唯物論化、動物愛護文化の確立と、それにともなう唯物論的な科学への批判、さらに、そのような批判を前にした科学者側の反応を、『モロー博士の島』を中心とするいくつかの文学作品と、この時代の歴史資料とを往還しながら記述するところにある。 研究の最終年度にあたる本年は、『英語青年』に1年半(平成15年10月から平成17年3月まで)にわたって連載した関連論文と、本研究のなかで過去3年間に書きためた論文を基盤にして、1冊の本として出版可能なかたちに原稿をつくりあげることをめざした。 生体解剖をめぐるその論争のなかから浮かびあがってくるのは、ヴィクトリア朝をとおして科学がめざましい発展を示しながら唯物論化していったこと、生体解剖とはそのような科学の典型としての生理学が生み出した新しい科学的方法だったということ、その一方で18世紀後半以降、福音主義などの影響とともに動物愛護の文化が発展していたこと、生体解剖論争とはそのような科学と動物愛護の文化が真っ向から衝突した事件であったということである。 結論ともては、生体解剖論争のなかにわれわれは、宗教性を離れて没道徳的に真実を追求しはじめた唯物論的な科学にたいするヴィクトリア朝人の不安と不信を見てとることができるということである。文学作品と歴史資料を往還する文化研究的な方法をとおして、ヴィクトリア朝の人びとの内面の一端を明らかにできたと確信している。出版にまでもっていきたい。
|