本年度は、計画の3年目に当たり、昨年度サミュエル・ベケットを中心にモダニズムにおける身体、感覚とテクノロジーについての著書を公刊したのを受け、ベケット以外のモダニスト作家にまで問題意識を広げることを目標とした。それにしたがって、D・H・ローレンスとウィンダム・ルイスという、ベケットより一世代前の小説家における身体表象を、特に人間関係の表象の機械化との関連で考察した。たとえば、ローレンスの主著『恋する女たち』では4人の男女の関係がほとんど機械的な組み合わせをもとに語られている。またウィンダム・ルイスの『チルダマス』は作品世界全体が、模造や複製で満ちているが、男性二人組の主人公たちもある種機械的な装置として死後の世界をさまよっている。このように、人間関係を機械的に表象する手法は、同時代の、人間身体の機械化という現象と、深いところでは結びついていると思われる。ローレンスもルイスもイタリア未来派の影響を受けていることもこの特質と無縁ではないだろう。このような問題意識に基づき、とりわけウィンダム・ルイスの作品における人間の機械化について論文を書いた。初期の作品『ター』においてすでに、人間が機械のように表象されるというルイスの特徴が顕著であるばかりではなく、それと関連して、人物同士の関係に機械的反復の要素が見られる。さらに『チルダマス』では、映画的手法が大々的に取り入れられるほか、人物も二人組にまで簡素化し、この点がベケットとの類似を生じさせる。ルイスとべケットはあまり比較されることのない作家だが、人間身体や世界認識の機械化、またその具現形態としての二人組の多用といった点で見逃せない共通点がある。それはモダニズムのどのような原理のなせる業なのか。こうした点について書いた論文は、次年度に発表の予定である。
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