本研究は、ドイツ中世末(15世紀後半)の代表的歌集『クララ・ヘッツレリンの歌集』(アウクスブルクの写本)に大量に収められている古いタイプの恋の歌と、16世紀初頭から南ドイツを中心に出回った一枚刷りや簡易本の民衆歌・物語詩、そしてこの世紀に北ヨーロッパの商業的中心地となったアントウェルペンで出たこの時代の代表的歌集『美しい歌の本』(印刷本)などに含まれる恋の歌とを比較し、新旧に共通するトポスやモチーフを踏まえて、それらが近世に至ってどのような変容を蒙ったのかという問題について、新興中産階級の上昇志向と音楽趣味、宗教改革運動の動乱、印刷術の普及、そしてとりわけこの時代に興隆した大規模な国際的商業都市の経済活動と商業ネットワークなどの観点から分析・記述することを目的とした。16世紀には南ドイツとアントウェルペンなどのフラマン語文化圏の間で多くの歌が共有され多くの異曲を生んだが、これはこの二つの地域がこの時代に経済的な結びつきを強めたことにより生じた文化的流通現象であることを示した。また、16世紀初頭から人々によってにわかに自覚され、歌の弁別や価値付与にも用いられた同時代の「新しさ」の認識及び新旧を弁別する論拠は、印刷術を始めとする新技術や新現象の出現によるものばかりでなく、多分に商業戦略的な実利重視から虚構された「新しさ」でもあったこと、しかしそこには「新しさ」に価値を置こうとする新興中産階級の、コンプレックスとないまぜの心性が如実に反映されていることを明らかにした。さらにこの関連で、16世紀の<歌の本>に含まれる数多くの歌の作者、マイスタージンガー(南ドイツ)とレーデライカー(ネーデルラント)の活動についても触れ、彼らの言説における新興中産的イデオロギー性を指摘した。
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