1.本研究は、ヴィクトリア朝の文学テクスト(主としてディケンズ、ギャスケル、ギッシングの小説)において克明に描写されたイギリスの都市生活者に観察できる狂気の諸相に焦点を定め、人間が一定の社会的状況のもとで示す行動の法則性を突き止め、様々な社会的要因と個人の心理状態との相関関係を明らかにするものである。このことは、テクストの主観的・直感的な読みだけでは実証できないので、他のヴィクトリア朝作家たちの狂気に関する言説と比較する必要がある。 2.本年度は主としてディケンズの作品に見られる狂気、特に狂気に起因する自殺(犯罪としての自殺、入水自殺と投身自殺、罪意識による自殺、絶望による自殺)の問題をヴィクトリア朝の社会的および心理的文脈において分析し、ディケンズ・フェロウシップ日本支部の『年報』第29号に論文を載せた。また、2007年のギッシング生誕150年記念に向けて研究代表者として編集し、日本学術振興会科学研究費補助金に申請した『ギッシングを通して見る後期ヴィクトリア朝の社会と文化』(渓水社)の第5章では「ギッシングと都市」を論じたが、そこではギッシングの都市生活者の狂気を考察することで、さまざまなものから疎外されて自己が分裂し、全体性を見失ってしまってことが明らかになった。 3.最終年度の研究は、ディケンズが主宰する雑誌に投稿した同世代の女性作家で、主として新興産業都市マンチェスターを舞台とする小説を書いたギャスケルに焦点を定め、そうした産業都市における社会問題に対する激しい葛藤に絶えず苦悩する人々と、イギリス近代の文明社会が彼らに強いた疎外感を分析する予定である。また、『バーナビー・ラッジ』、『デイヴィッド・コパフィールド』、『荒涼館』の作品論によって、ディケンズと狂気のテーマに見られる一般的な原理を帰納的に導き出すことを考えている。
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