本年度は、コルネイユ劇における英雄像の変遷を追いながら、特に『オラース』等の政治悲劇の創造を通して確立された英雄が、パトロンであるリシュリューの死を契機にどのように変貌したかについて、ルイ十四世の親政が開始される時期までの作品を対象に解明した。 宰相の死と共に、側近として活躍していたドービニャックら古典主義の理論家の発言力が急速に衰え、コルネイユ劇においても、主人公たちを行動に駆り立てる動機が、崇高な国家目的や宗教的理想から、個人的加政治的野心や恋愛感情の方に移行する。さらに、「美しい悲劇のテーマは真実らしくあってはならない」という作者の言葉が示す通り、真正な人間心理の描写を犠牲にしても、観客を驚樗させる波乱に富んだ劇的構成に重点をおくバロック的傾向が顕著になる。このような傾向を代表する傑作が、二一チェ的な、善悪の彼岸を超越した主人公が活躍する『ロドギュンヌ』である。しかし、48年以降フランスがフロンドの乱に突入すると、現実の政治状況を戯曲に反映させることで観客の興味を高める、彼一流の作劇法が再び有効となる。その結果、『ドン・サンシュ・ダラゴン』では、主人公像を通して新しいパトロンであるマザランヘの共感が表明されるが、内乱の趨勢に重大変化が生じた時期の『ニコメード』になると、宰相の政敵であるコンデ大公を賛美して、不惑の英雄を創造するという矛盾が生まれた。 44年発表の喜劇『嘘つき男』には、三十年戦争の英雄になりすましてヒロインの愛を得ようとする主人公が描かれる。『舞台は夢』のほら吹き隊長同様、笑いの源泉に英雄のカリカチュアを利用する作者は、数々の悲劇の英雄を創作しながらも、一方でそうした栄光の空しさを見失わない、覚めた市民的意識を有していたと考えられる。
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