本研究の目的はコルネイユ劇の英雄像の変遷を『オラース』等の四大傑作、『ポンペーの死』以降の中期作品、ルイ十四世親政時に執筆された後期作品の3つの時期に分けて解明することである。特に劇中における英雄と王権・国家の関係に着目しながら、フランス社会の実際の政治状況や演劇論争に起因するコルネイユ自身の作劇法の改革等の観点から、変遷の分析を行なった。以下がその結果である。 ロドリーグやオラースは武勇によって救国の英雄となり、その貢献の故に犯した過失を王に許される。そこには賢明な調停者としての王と、国家を支える英雄の幸福な二人三脚が存在した。しかし四大傑作に顕著な、こうした英雄と王・国家の理想的な共存関係が、実はパトロンであるリシュリューの意向を忖度した、宰相の政治的理想のかなり忠実な再現であることを、「ル・シッド論争」の分析等から明らかにした。 フロンドの乱に至るマザラン宰相時の中期作品では、比較的自由で脆弱な社会的背景と劇作家のバロック的資質とが呼応してコルネイユ独特の世界が生まれる。ほとんどの作品で主人公たちは、奸悪な支配者とそのマキャベリズムに苦しめられ国家権力との対決を余儀なくさせられるが、最後は正義を体現する王権が回復してハッピーエンドを迎える。後期の戯曲は政略結婚をめぐって展開する。ルイ十四世の強力な絶対王政においては王侯貴族の恋愛と結婚をめぐる策謀こそが、最もリアリティのある政治的テーマであったからだ。だが劇中から、国家と英雄との幸福な協調関係は消失し、国家に貢献した英雄たちは代償として己が不幸に耐えねばならない。特に『シュレナ』に描かれる英雄と王権の決定的な破局は、ラシーヌを意識したコルネイユの作劇法の革新による所が大であることを明らかにした。
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