研究概要 |
本年度は研究期間の最終年度にあたり、この間の研究を総括するとともに、本研究に関連する翻訳に専念した(近刊)。しかしなお欠落が多く、とくにヨーハン・クリスティアン・ギュンターと(ロマン派の)E.T.A.ホフマンの位置づけは不可欠だと思われた。 1.ギュンターは没後公刊された作品集をつうじて啓蒙期の人気詩人となったが、生涯貧窮にあって若死にした。彼は詩人が詩人を職業として生きられる社会を、単なる愁訴としてではなく具体的に提案し、ビュルガーの主張を先取りした。しかしW.v. Unger-Sternberg(Text+Kritik74/75,S.85ff.)によれば、ギュンターの社会的提案のモデルは古典古代とルイ王朝の桂冠詩人であったという意味において、すでに時代後れどころか古色蒼然たる発想であり、初期近代国家に迎えられるはずもなかったのである。 2.ホフマンは時代からいえば本研究の対象外である。しかし以下の点において看過しえない。ホフマンは、研究史が指摘してきたように、「音楽家」と「詩人」の葛藤に苦悩し、前者を捨てて後者を「職業」としたかにみえるが、実は「法律家」として身を立て、いわば三重の職業を遂行しえた稀有な存在というべきである。詳細を述べることはできないが、ホフマンの場合は「音楽家」と「法律家」とのあいだに「詩人」をおいて、その両者を止揚する暮らしを送ったということができるであろう。ただし、ここからは「責任」という理念は生れてこないのである。
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