本研究の目的は、十九世紀後半から二十世紀前半にかけてのアメリカ合衆国における「文化現象」とりわけ文学と映画を取り上げ、アメリカが「文化的」に作り上げようとしてきた「虚」と「実」に分け入り、イデオロギー化した「アメリカ」を文化面からできるだけ実証的に浮かび上がらせることに置かれた。その意味で言えば、映像分野の研究成果を含めて、本来ならばもっと研究内容が多岐にわたるはずだったが、時間の制約もあって、ここでは映画が発生してくる前の十九世紀中葉から後半にかけての文学と大衆文化を中心とした研究に終始してしまったが、取り敢えずはその成果を「中仕切り」という形で公表することとした。 とはいえ、ここでの成果は、さらに次のような研究内容の前提条件となるはずである。 (1)アメリカ映画の草創期に『アンクル・トムの小屋』や「ミンストレル・ショー」がアメリカ映画の「ストーリー」性確立にどのような役割を果たしたかを、草創期の映画監督エドウィン・ポーターの映画作品(たとえば『アンクル・トムの小屋』や『アメリカ消防夫の生活』や『列車大強盗』など)を通じて実証的に考察する研究。 (2)十九世紀の文学・演劇・大衆芸能が二十世紀の文化的特徴形成にどうかかわったかを、「アメリカ映画の父」と言われたD.W.グリフィスなどの映画作品(たとえば『国民の創生』など)から検証する作業。そこでは、グリフィスの長編映画の技法確立と、ハリウッド映画の「白人優越主義」的なストーリー性との関係などが考究されるはずである。 (3)世界最初のトーキー映画『ジャズ・シンガー』にそくして、アメリカにおけるユダヤ人の「白人化」と、ブラックフェイスによるジャズの大衆化に関する研究。 (4)フィルム・ヌワールと呼ばれた映画ジャンルと、そこでの女性の描き方を通して「金髪・青い目・白い肌」の「美女」とジェンダーに関する考察、等々。
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