本年度は、昨年度に引き続き「「近代化」と女性表象におけるエクゾティシズム」について研究を進めた。 まず、昨年度に進めた「宿命の女」研究を更に広げる中で、ヨーロッパ文学の中の宿命の女がどのように日本に翻訳・紹介されたのか、という点に着目し、上田敏『みおつくし』などの女性像を原典と比較分析した。また、こうした女性表象が伝統的な悪女表象との相互作用の中で、明治40年代のフィクション(漱石の『虞美人草』や志賀直哉もの「彼と六つ上の女」など)にどのように影響したかを調査した。その結果、日本文学にける「宿命の女」像は、「文明」と「伝統」へ二極化していく女性表象の、「文明」側を担うものとして、「エクゾティックな強者」として位置づけられていることを明らかにした。その成果の一端が、論文「明治日本の「宿命の女」」である。 一方で、「近代化=西洋化」する都市において、ヨーロッパ文学のヒロインを模した存在として早くからテクストの中に描き出されたのが、高等教育を受ける「女学生」だったことに着目した。明治10年代から、女学生はさまざまなメディアによって注目される存在だったが、「新しい女」としての彼女たちが何を期待され、どのように語られていったのか、ということを、文学作品の中に描き出された女学生像と、実際の女学生を巡るメディアの言説の分析を通じて明らかにすることを試みた。また、日本の女学生表象を、19世紀のフランスで"etudiante(女学生)"とも呼ばれたグリゼットの描写と比較することによって、日本の女学生に向けられたまなざしの矛盾点や近代化の中のねじれなどについても考察した。その成果が、日本比較文学会第68回全国大会におけるシンポジウム「"語る女/語られる女"の近代-樋口一葉を中心に-」(6月18日、於日本女子大学)での発表「etudianteの憂鬱:一様の周辺で」である。
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