今年度はこれまで扱ってこなかった次期に属する18世紀前半のアイヌ語資料を中心に分析をすすめた。具体的には、坂倉源次郎の「北海随筆」、松宮観山の「蝦夷談筆記」、天嶺性空「秋島夜話記」という三つの文献に含まれているアイヌ語の語彙について詳細に分析した。これらの文献は初期の時代の蝦夷地の事情を記述した文献として非常に貴重なものであるが、異本の多いものもあり、そのままでは含まれているアイヌ語の語彙について、言語学的な研究を行うことができない。そこで、比較的善本と思われる異本を校合してまず文献的な研究を行った上で、この時期に属するアイヌ語の特徴を分析した。その結果、18世紀前半の資料にも、アイヌ語最古の文献に属する17世紀前半の資料と共通する特徴が現れることを実証的に明らかにすることができた。これらの特徴は18世紀後半、19世紀前半に属するアイヌ語資料には通常はみられないものである。具体的には長母音を表したとみられる表記が、共通する語彙にみられることを明らかにした。また、後期の文献には通常はみられない特徴的な語形が、この時期の文献にもみられることを明らかにした。その一方で、17世紀前半の資料に現れる中舌母音をあらわしたとみられる表記は現れないことを指摘した。これにより、ごく部分的にではあるが17世紀前半(長母音、中舌母音、特徴的語彙)、18世紀前半(中舌母音の消失)、19世紀以降(長母音の消失、語彙の交替)というアイヌ語の通史に関する見通しを立てることができた。なお、古文献の研究に必要な研究である近現代のアイヌ語の研究として、資料の少ない虻田方言の研究を行った。また、千歳方言の文法についてまとめ古文献のアイヌ語諸形式の分析にも有用な知見をまとまった形で提示した。
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