本研究の目的にあげた、(1)「漢字専用表記時代における漢字の正用と仮名用法との機能的な分担を明らかにして、漢字専用時代の文体と表記体の関係を明らかにする。」という観点からは、古代漢字専用文献中の歌表記に注目して、散文中の歌の書き様と木簡等の歌のみを書き記す場合とを比較して、さらに年代を追って、各資料における表記論理による歌表記の変遷をさぐった。その結果、日本書紀歌謡は、正格の漢文を基本文体とすることによって、歌謡が借音表記されるが、それは、漢文の論理の延長、つまり中国語に対する外国語の固有名詞表記と同じ方法に過ぎない。古事記は基本文体を異にしながらも、書紀と同じく借音表記がとられるが、それは、漢文対仮名書きの対立に帰すべきもので、音訓交用の論理が異なる。また、歌だけを記す木簡には日用の仮名が用いられるが、記紀歌謡とは異なる点が多く、そこに、仮名の位相差がみとめられる。 次に、風土記、五国史、日本霊異記、将門記、公家日記と時代を下って、漢文中の歌表記に注目して、諸書において短歌形式の歌は仮名書き、それ以外は宣命書きという基本論理があり、それぞれの書の持つ固有の論理によって、例外的なものはあるが、この論理は、基本的に古代漢字専用文献中の中国語対日本語の対立を反映するものである。それが、霊異記から将門記に展開するにつれて、歌の真名書きが登場するが、それは、本研究の目的の(2)「平仮名片仮名成立以降の漢字の仮名用法の位相的な位置づけをおこなうと同時に、平仮名、片仮名が文章および文体にどう関わっているかを明らかにする。」と関連して文字としてのかな成立により、生じたものと思われる。仮名の成立によって、漢文中の歌表記は、表語用法か表音用法かという漢字の用法の対立から開放されて、漢字対仮名の対立として、新たな展開を見せるのである。 以上の内容を、「記紀のウタと木簡の仮名」と「古代ウタ表記の一展開-漢文中のウタの記載方法をめぐって-」において述べ、さらに、資料の収集と整理という点では、塩野家蔵の往来物である『耕作文章』を影印で紹介し、解題を付した。
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