本研究は、日本語の文章の史的展開の中で、文字および表記体が文体に対してどのように関わってきたかを明らかにするものである。文字については、漢字専用時代の漢字の用法としての仮名が、諸文体の中でどのように機能していたかという点に関して、従来、対立的にとらえられていた記紀万葉集と木簡・正倉院文書との仮名に共通する基盤のあることを指摘し、共通する基盤からそれぞれの位相において、その文体に応じた字母が選択されることを明らかにした。表記体のついては、歌と散文との関係において、散文の表記体と歌の表記とのあいだに、それぞれのテキストに応じた選択意識が働いており、中国の仮借の用法からはじまる日本書紀歌謡の方法と、いわゆる変体漢文と仮名との対立による古事記歌謡の方法、割り書きという注補入形式という風土記歌謡の方法とが、古代において成立していること、その様式は、歌が定型か非定型かによって仮名書きになるか宣命書きになるかという対立へと展開し、やがて、文字としての仮名成立以降は、漢字対かなの対立へと展開する.ことを明らかにした。文字としての仮名(ひらがな・カタカナ)成立以降は、表記体の転換によって、表記体と文体とが微妙な差異を生じせしめる。その様子は、三宝絵、平家物語諸本の分析によって、明らかになった。つまり、三宝絵の場合は、成立時の表記体はひらがなであるが、原資料の漢文的な要素が色濃く出ているが、それでも漢字仮名交じりの伝本と比べると和文的要素が強く、それは真名本との対照によって知られる。また、平家物語の原体は漢字仮名交じりであったと推定されるが、そこには、漢文的要素がそのままの形で混入されることがあり、和漢混清の原初的な様相を示している。それは、表記体がひらがなへと移行しても、保存される傾向にあるが、やはり、和文的要素が入り込んでくることが指摘される。
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