研究概要 |
本年度は、意見の正当化として機能する日本語の談話連結詞の中で、特に「だって」が記号化している手続きについて、言語コーパスを用いて分析した。談話の冒頭で用いられる接続表現としての「だって」の意味をめぐっては、辞書的定義、談話分析、発話行為論などの立場からこれまでさまざまな説明がなされ、その談話機能は「自己正当化」「理由説明」などとさまざまに定義されてきた。本研究では、「だって」が「正当化」だけではなく「同意」の2つのコンテクストで用いられること、論理表現であるにも関わらず話し手の感情をも表すことなどの側面に着目し、「だって」の談話機能を「相手の想定との認知的隔たりを埋める」と考える。典型的な自己正当化の場合にはしばしば叱責をこめた半ば強引な理由づけ、相手の立場への同意の場合は相手への共感や同調、「だって」一語を用いた発話の場合にはしばしば懇願、これらのさまざまな発話態度もすべて、互いの認識の隔たりを埋めるという「だって」の手続きと語用論的推論により生じていると考えられる。同意や共感を担う「だって」は現代の新用法であり、十分な研究がなされているとは言えない。しかし、少なくともそうした新用法への展開は、認識の溝の最小限化というコミュニケーション上の目的と合致したものであると言えよう。さらに、「だって」と英語のafter allとの違いに関して、前者はその手続きとして発話の高次表意へのアクセスを指図するという研究がある。本研究では、正当化としての談話機能を持つ他の連結詞(「なぜなら」「というのは」など)と「だって」の手続きの違いは、英語のbecause,since,forとafter allの違いと類似していると結論づける。(詳細は「研究成果報告書」を参照下さい。)
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