研究概要 |
沖縄県における戦後英語教育の歴史や現在の英語教育を取り巻く社会環境は本土のそれとは異なっている。本研究においては沖縄県における英語教育を,歴史的・社会的な観点から総合的に研究している。沖縄県では戦後まもなく小学校の英語教育の導入が図られたが指導者の確保等が難しく失敗している。また,1960年代に入ってからは英語センター(米国民政府の設立)を中心に小学校の英語教育の導入が検討されたが,祖国復帰運動の中で,教職員組合などの反対にあい失敗している。英語教育が政治的な視点から激しく議議された例は,戦後日本の英語教育の歴史をみても例がない。復帰後の沖縄県の教育は「本土並み」という沖縄県全体のスローガンのもとに,ひたすら本土と「同じ」になることを目指して進んできた。しかし,2000年代に入り,自らの意志で教育課程を編成できる構造改革特区が制度化されると,沖縄県では浦添市,宜野湾市がいち早く特区申請を行い,小学校からの英語教育がスタートした。また,県内市町村の教育長が集まった教育長会議では,沖縄県全域を特区化して小学校から英語教育を導入することを提案した。2008年現在,沖縄県では小学校の英語教育の導入は,本土と比べると急速に広まってきている。各種調査をみると父母の期待も大きいことがわかる。沖縄県の取り組みは,かつて失敗した小学校の英語教育への再チャレンジのようにも見える。広大な米軍基地を抱え,基地被害も多く,基地撤去の運動も激しいが,一方では基地内の小学校との交流なども行なわれている。そこには,英語教育が政治的な理由から拒否された過去の経験から学ぼうとする姿勢が見え隠れする。特異な歴史的・社会的な環境の中で,沖縄県では英語教育の改善が求められている。本研究は,小学校の英語教育を中心としながら,地域に根ざした英語教育を総合的に研究するとともに,日本の外国語教育,特に小学校英語教育についても提案を行なうものである。
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