本年度は本研究の最終年度にあたり、主に平安時代の文献を中心に、居住、邸宅、呼称について調査した内容を論文に纏める作業を行った。 前半においては、前年度で行った『御堂関白記』や、『小右記』など公卿日記に関する調査に続き、私家集、女流日記、さらに物語作品について調査を行った。主に、私家集や女流日記に見られた邸宅名と居住者、伝領者の関係をいくつかのケースを追って考察した。後半は物語を中心に見てきた。主に歴史物語『栄花物語』の人物呼称と邸宅関係を中心に考察した。 調査を通じて、邸宅名を冠して指呼された人物は、必ずしも邸宅伝領を示すものではなく、単なる居住者の可能性があることが判明した。当該期の邸宅伝領を考える上に、居住者と伝領者を峻別することの必要性を指摘することができた。さらに、当該期の人々の関係性を表す「後見」をキーワードに、婚姻、家族、邸宅伝領における男女の相互扶助関係の内容変化を考察した。平安期の婚姻居住形態は、すでに明らかにされたように、夫婦別居と夫婦同居の婚姻居住形態が並存しながら、段階的には訪婚→妻方居住婚→新処居住婚に移行している過程にあり、邸宅伝領もそれに照応した形で行われていた。妻方居住婚→新処居住婚に移行する中で、男性による妻の家の修繕、増築、さらに妻子のために新処を設けることは、観念上一続きの「後見」行為である。しかし、このような「後見」は単なる相互扶助的な行為に止まらず、家庭における男性の管理権、主導権を強める一つの「方法」であり、後に主流となる夫側新処居住、さらに中世以降に見られる夫方居住婚へ移行する、不可欠な経路であったということを指摘することができた。 また平安時代の物語に見える妻の呼称「北の方」と「上」の呼称について再考した。「北の方」は同居の妻の呼称で、「上」は一家の女主の呼称であるが、段階的にその変遷と居住形態の関係性を追って考察した。
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