古代日本の親族組織、系譜観念、居住、邸宅伝領を考察した研究である。第一章では、律令条文の親族名称及び等親制の導入に着眼し、両国の親族構造の相違を考察した。服喪基準=等親基準とする中国の五服制が日本律令において「五等親条」と「服紀条」の二条になった。「五等親条」は行政的機能、「服紀条」は礼法的機能を果たした。両条とも表現上では忠実に五服制を継承しながら、父系親族、女性の夫族への帰属を大幅に削除した。第二章では、七世紀、八世紀の王室の系譜を中心に、嫡庶系親族名称を取り上げた。「庶妹」、「庶母」、「嫡子」などの用語を通じて、父系の正統性を表わす嫡庶系親族名称が古代日本の系譜記載において王室近親婚の正統性と皇統の父系母系の双方的正統性を主張するために用いられていることを明らかにした。第三章では、平安時代の「婿」の結婚の居住と妻の邸宅との関わり方を通じて、1結婚によって妻の家に居住し、妻の家と相互扶助関係即ち「後見」関係が生じる。「後見」の内容の一つには邸宅の管理および邸宅の提供である。2婿住みの男性にとって、結婚によって獲得した妻の邸宅への後見は一種の義務であると同時に権利でもある。3このような「後見」は単なる相互扶助的な行為に止まらず、家庭における男性の管理権、主導権を強める一つの「方法」である。
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