昨年度の調査で所在地が判明した土佐一条氏の外戚加久見氏館跡の発掘調査を実施した。調査面積は狭かったが、15世紀代の加久見氏館の一部と見られる石列や貿易陶磁器・土師質土器を検出し、さらにその下の層から13〜14世紀代のピット群や貿易陶磁器・土師質土器などを検出した。取り分け大量に出土した土師質土器は、ここが加久志見氏の居館跡であることを決定づけた。大型建物の存在をうかがわせる13〜14世紀代の遺溝は、「金剛福寺文書」に見える「以南村預所」跡であった可能性が高く、土佐清水市域を中心とした幡多郡以南村の中心が13世紀以来この地にあり、その上に加久見氏が登場してくることが判明した。また、13世紀末の楠葉型瓦器碗が出土し、一条氏に加えて北条時宗もこの地に関わっていたことが明らかとなった。 発掘調査に加えて昨年度からの港湾調査を続行した結果、幡多郡の要港清水津の一部をなす越浦と加久見氏館跡とが、加久見川の舟運を媒介として直結していたことが判明し、加久見氏を水軍と見た予想を裏付けることができた。また、土佐清水市域の石塔調査では、加久見周辺に兵庫県六甲で産出する花崗岩製の五輪塔がかなり分布することが判明し、加久見氏や以南村預所が兵庫津と特別の関係を有していた可能性が高まった。その他、四万十市(旧中村市)郊外の香山寺跡(金剛福寺と一体的関係を持つ)の踏査を行い、中腹より少し上にある14世紀初頭の銘を持つ碑や、15〜16世紀代と見られる遺物・遺構を確認し、一条氏の盛衰と香山寺・金剛福寺との盛衰とが深い関係にあることが見えてきた。
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