1、史料調査及び複写 宮内庁書陵部、内閣文庫、山口県立文書館、鳥取県立図書館において学習院関係史料、幕末政治史関係史料の調査及び複写を行った。 その際、宮内庁書陵部では橋本実麗関係史料や土佐勤王党関係史料などを中心に、内開文庫では、近衛忠煕関係史料を中心に調査及び複写を行った。 また、山口県立文書館では毛利文庫の幕末尊皇擁夷運動関係史料の補足調査・複写を行った。さらには鳥取県立図書館では、幕末期京都藩邸の日記等の記録類の所在確認、調査、複写を行った。 2、採集史料の分析の結果 (1)尊王攘夷派が学習院を根城にして活動していた時期でも、学習院では朝廷の学問所(「教室」)として講義が行われている。このため、学習院は、本質的には政治機関というよりは本来参内の資格を持たない庶人の「詰問」、さらには大名、幕臣、藩臣、公家、庶人による会議のための「空間」というべきものである (2)文久2年から3年にかけての朝廷の政策決定過程は、形式的には議奏、武家伝奏、内覧、天皇という伝統的なルートが守られていたが、実質的には暴力装置を持つ諸勢力が、それらを壟断、あるいは圧迫することのより国家の最高意思としての「勅命」が決定されていた。 (3)諸勢力とは幕府、大名、藩士、浪士、さらには欧米列強などであるが、大名、幕臣など参内の資格を持つものにとっては、学習院は単なる「会議室」であり、学習院自体は何ら政治性を帯びていなかったが、庶人である藩士、浪士にとっては「学習院」に「参候」することにより「王臣」として朝政に関与することが初めてできたので、「学習院」自体が一個の政治機関のような様相を帯びるようになった。
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