「盛岡藩政史関係史料の総合的研究」を実施するにあたって、まず最初に着手したのは「雑書」の調査研究であった。盛岡藩の家老席で記録された日記である「雑書」は、寛永21年(正保元年、1644)から天保11年(1840)までの約200年間分があり、そのうち14年分が欠本となっている。 記録内容は盛岡藩領の出来事が中心であるが、時には将軍家をはじめとする他藩の記事もみられる。各年度ともに正月の儀式から始まり、五節句を経て歳暮に至っているが、その間に領内で起こった政治、経済、社会、文化など(例えば、参勤交代、藩主の鷹狩、幕府へ献上の鷹・白鳥・鶴・菱喰・鮭・鱈・薯蕷・かたくり粉、城内での能興業と大般若執行、役人の人事異動・休暇願、藩士の家督相続・婚姻・嫡子願、神社仏閣の祭礼、社寺参詣、繋・鶯宿・台・鹿角大湯・湯瀬などへの湯治、打首獄門、他領追放、抜参り、逃亡、火事、風水害、酒値段の公布など)、あらゆる面にわたる出来事が記録されている。したがって、盛岡藩政史の研究を進めるうえでの最も基本的な史料となっている。 これまで多くの人々の協力を得て、細井計が責任校閲したものが継続出版されている。近刊の『盛岡藩家老席日記雑書』第19巻(延享元年〜同2年)(東洋書院、2006年3月)は、平成17年度の研究成果の一部である。同時に、まだ翻刻されていないが、宝暦5年と6年の「雑書」から飢饉に関係するものを抄出する一方、宝暦4〜7年までの天候や物価、それに同6年、7年の飢饉の状況を記録した「自然未聞記」(岩手県立図書館所蔵)を解読することによって、宝暦5年を中心とした盛岡藩領の飢饉についての研究を進めた。その成果は「盛岡藩領における宝暦5年の飢饉」(『東北福祉大学研究紀要』第30巻、2006年3月)として公表した。
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