「盛岡藩政史関係史料の総合的研究」を実施するにあたって、まず最初に着手したのは「雑書」の調査研究であった。盛岡藩の家老席で記録された日記である「雑書」は、寛永21年(正保元年、1644)から天保11年(1840)までの約200年間分があり、そのうち14年分が欠本となっている。 これまで多くの人々の協力を得て、細井計が責任校閲したものが継続出版されている。近刊の『盛岡藩家老席日記雑書』第20巻(延享3年〜同4年)(東洋書院、2007年3月)は、平成18年度の研究成果の一部である。同時に徳川綱吉政権と盛岡藩との関わりについて、特に延宝9年(天和元年、1681)綱吉の再審によって、越後騒動で切腹となった高田藩家老小栗美作の一族であった小栗市之助・十三郎兄弟の盛岡藩(南部重信)への御預けとその後の経緯について考察すると共に、生類憐みの令下における江戸府中と盛岡城下の犬の殺害をめぐって、江戸での幕臣は切腹、盛岡藩士の場合は遠慮という、その対応が異なっていたことを具体的に明らかにした。その成果は「徳川綱吉政権と盛岡藩」(『東北福祉大学研究紀要』第31巻、2007年3月)として公表した。
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