研究概要 |
長崎歴史文化博物館に移管された旧県立長崎図書館郷土資料室所蔵資料を中心に調査研究を行い,ほぼ次のような成果を挙げた。 1 16世紀にキリシタン信仰とともに導入されたキリスト教音楽は,導入時にはオルガンの伴奏による歌唱・合唱,オルガンおよび弦楽器の演奏等が堪能な日本人が相当数育成されたが,これらが民謡ないしは流行歌として定着し,幕末・明治期にまで愛唱されることはなかった。このことは,工尺譜曲集にその痕跡を留めていないことから証明できる。 2 江戸時代の日本において,少なくとも11曲以上のオランダ歌曲が知られ,19世紀なかばには長崎諏訪神社の祭礼「おくんち」でオランダの軍服を着た住民が「和蘭兵隊さん」と称する歌を歌ったことが知られている(笠原潔「江戸時代の日本で歌われたオランダ歌曲について」)。しかし,これも江戸時代末期に出版された工尺譜曲集には採録されず,民謡として定着しなかったと推定される。 3 江戸時代に出版された工尺譜曲集は,ほとんど例外なく明楽ないしは清楽曲であり,とくに長崎において月琴等で演奏されたことが明らかにできる曲は,「九連環」「算命曲」「茉莉花」「中山流水」などである。このことはすでに提出した佐々木・鍋本の科研費報告書(2003年および2005年)で明らかにしたが,今年度はこれらの曲がどうして日本民衆に愛好されたのかを検討した。この検討には,原曲の含むメッセージ性と,これを受容した日本民衆の雰囲気との両方を解明する必要があるが,今年度中に結論を得るには至らなかった。この検討は来年度の課題とし,報告書で結論を述べたい。 4 明治期については,文部省唱歌・神楽・大津絵節・「数え歌」・「一つとせ」などが流行する反面,中国人に対する蔑視の風潮が起こり,並行して清楽の衰退が起こることが新聞記事から解明できた。 5 明治初期から長崎にはフランス軍艦の表敬訪問などがなされ,軍楽隊の演奏が行われたことが把握できた。ここで演奏された曲目や日本に与えた影響などは,来年度の検討課題としたい。
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