研究課題
基盤研究(C)
高野山大学図書館所蔵本を中心に東寺観智院所蔵本・お茶の水図書館所蔵本などを調査して、平安時代初期に関わる史料を収集した。これらのデータを検討し、『日本後紀』などのデータと合わせて弘仁年間の記事一覧表を作成した。さらにこれらのデータを分析して、空海と嵯峨天皇・平城上皇に関わる歴史的な問題について考察した。1.『高野雑筆集』所収の書状の宛先を分析し、嵯峨天皇の側近であった藤原三守宛てのものが三通存在することを明らかにした。空海は三守が参議に昇進した弘仁7年(816)10月頃には、三守と親密な関係を築いており、同年7月に空海が高野山の賜与を上表して許された背景にも、三守の協力があった可能性が高いことを論じた。2.空海が弘仁13年(822)に平城上皇に灌頂を授けたことが史実かどうかを検討した。高野山大学図書館本などの『平城上皇灌頂文』の記載、正倉院北倉出納文書・正倉院破璃装仮整理文書断片の記載などから、平城上皇の灌頂受法は歴史的事実と認められると結論した。3.空海が弘仁14年(823)に嵯峨天皇に灌頂を授けたことが史実かどうかを検討した。承和3年(836)の実恵書状に嵯峨が空海にたびたび密教の教義を尋ねていたこと、平城上皇の灌頂受法後、天皇・皇后らが多く空海から灌頂に預かったことが明記されているので、嵯峨天皇が空海から灌頂を受法した可能性はきわめて高いと考えた。以上の結論を空海の著作目録、『嵯峨太上大后灌頂文』の記載、東山御文庫本『一代要記』の記載などから補強することに努めた。4.薬子の変に至る原因とその背景について、東寺観智院所蔵の『東宝記』原本の記載を軸に考察した。私見によると、桓武天皇は安殿・神野・大伴の三親王が順番に即位することを遺勅し、平安京を万代宮と定めて他宮への遷都を禁じた。これに対して、桓武の構想に反対する安殿親王(平城天皇)と藤原薬子・仲成は高岳親王の立太子を実現し、平城遷都を計画した。薬子の変は王都・王統に関する桓武の構想を肯定するか否定するかの戦いであったと結論づけた
すべて 2007 2006 2005
すべて 雑誌論文 (8件)
関西大学文学論集 56巻3号
ページ: 1-19
国立歴史民俗博物館研究報告 134集(印刷中)
Essays and Studies by Members of the Faculty of Letters, Kansai University vol.51 num.3
Bulletin of the National Museum of Japanese History vol.134(now printing)
古代史の研究 13号
ページ: 40-56
Studies of Ancient History vol.13
続日本紀研究 359号
ページ: 1-14
Syokunihongikenkyu vol.359