近世後期の摂津国尼崎藩における大庄屋(十数から二,三十ヶ村を一行政区として支配する最上層の村役人)制を事例として、畿内先進農業地帯における村落地域社会の構造と大庄屋制の特質を検討した。結果、(1)尼崎藩での大庄屋の組(一大庄屋の支配区域)行政は、大庄屋と数人の支配下庄屋らによって担われ、尼崎城下の町宿の果たす役割が大きかったこと、(2)1830年頃から1850年頃にかけて組行政の担い手たる庄屋に変化が見られたが、その時期はいわゆる富農経営が経営的限界に達した時期と一致したことなどが明らかとなった。
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