研究代表者は、平成17年より3年間、今まで全く研究されてこなかった空也系の三昧聖について、総合的な調査を加え、史料目録等を作成し成果を発表した。具体的には、3年間かけて、京都市中京区にある空也系三昧聖の本山、極楽院空也堂の史料の悉皆調査を行い目録を作成した。まず、史料を編年別に整理し、次に袋詰め、目録化を継続して行い、併せて史料写真を撮影した。空也堂の史料分析とともに、地方に三昧聖の史料を訪ね、撮影を行った。各所蔵者が極めて少数の史料しか伝えていないため、目録化は見送った。これらの史料と三昧聖家の伝承を分析した結果、以下の史実が判明した。(1)空也系三昧聖は、近世以降、山陽地方では「茶筅」、山陰地方では「鉢屋」「鉢」と呼ばれ、葬祭に関わるほか、刑吏など様々な雑業に従事していた。よって行基系三昧聖と同じく、自らの生業の元祖に貴種を求め、身分とステータスの向上のため、近世中期に空也堂と結びついたものと考える。平安中期における諸国巡錫が明らかな空也に対し、醍醐天皇皇子という貴種譚を付加させるとともに、空也堂の末流として冥加金上納や夫役を果たすかわりに由緒書を貰い、決して賎視されるべき身分でないことを証明したものと考える。(2)この身分的な問題は近代から現代までも継続し、本末関係は持続したが、三昧聖としての業務そのものが減少していく中で、空也堂を本山と頼む聖も少なくなった。このため経済的に困窮した空也堂は、中京地方に展開していた浄土宗系の隠れ念仏教団である「秘事法門」と本末を結び、この教団の構成員を門下として配下に置き、上納金を求めるようになっていった。以上の研究結果は、2本の論文として発表し、また報告を1回行った。また、今回の研究成果として空也堂極烙印史料目録を刊行した。
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