「六朝貴族制」学説にかかわる根源的問題は、代々高官を輩出する家柄の存続を保証する制度が存在したのか否か、あるいはそのような制度によって確定した家柄の等級(家格)が存在していたのか否かにあるという考えから、この点を検証するための基礎的作業として、官僚がはじめて任官する際の官職(起家官)や年齢(起家年齢)の事例を収集した。 上の作業と並行して、六朝貴族の典型とされる琅邪の王氏についての研究を推進し、「王〓之墓誌」(『文物』1972-11)や「王康之墓誌」(『文物』2002-7)の記載を手がかりに、正史隠逸伝の記述を傍証として、いわゆる貴族の家系にも、仕官することなく在野のまま荘園経営などを行って生涯を終える者が多数存在しており、主として正史列伝から考えられてきた、もっぱら高級官僚として活躍する従来の貴族像は、貴族のなかでもむしろ特殊な存在であったことを強く意識せねばならない、という結論を得た。また、「王〓之墓誌」は、北来名族と江南土着豪族との通婚を示す史料としても知られ、従来の研究では、特殊事例とみなされる傾向にあったが、上述の多様な貴族像という観点を導入すれば、必ずしも例外ではなく、高級官僚となる貴族以外では普遍的にみられたという仮説も、成立の余地を残すことが判明した。これらの研究成果の概要については、第11回漢魏石刻の会(北海道大学、平成17年12月26日)において、「東晋琅邪王氏墓誌の研究」という題で報告した。 さらに、六朝貴族制の研究を深化させるための基礎的作業として、隋唐時代の貴族制・官僚制度についての文献調査を実施し、1978年から2002年にかけて刊行された関係論著をリストアップして、目録を作成した。
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