「六朝貴族制」学説について、代々高官を輩出する家柄の存続を保証する制度が存在したのか否か、あるいはそのような制度によって確定した家柄の等級(家格)が存在したのか否か、要するに「貴族」と性格規定できるような家柄が存在していたかどうか、という根源的な観点から、学説史の検証を推し進め、その成果を、魏晋南北朝史研究会(9月16日、お茶の水女子大学)で発表した。本発表では、六朝時代における史学を論じる際、貴族社会との関連において必ず論及される「譜学」を取り上げた。日本の学界においては、六朝・隋唐の時代、国家によって家譜の集積・審査と貴族の家柄の格付けが行われたという理解が一般的であるが、南朝においては、国家による有力氏族の家譜の集積は試みられているものの、北魏の姓族分定のような国家が設定した統一的基準による家柄の格付けは行われていないことを指摘した。その事実をふまえて、六朝のいわゆる「貴族」は、国家が定めた家格によって高位高官を世襲していたわけではなく、父の官職によってはじめて任官する際に有利な官職を与えられるにとどまり、漢代の任子制度や唐代の恩蔭制度と実質的には変わらない制度であったという見通しを提示した。 さらに、六朝貴族制の特質をその前後の時代との比較において浮彫りにするための基礎的作業として、第一に、隋唐時代の貴族制・官僚制度に関する文献調査を、1967年から1977年にかけて刊行されたものについて、第二に、秦漢時代の官僚制度に関する文献調査を、1983年から2002年にかけて刊行されたものについて、それぞれ実施し、目録を作成した。
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