本研究では、「六朝貴族制」学説に、学説史的検討を加えて、その特徴と問題点を解明することを目指した。「六朝貴族制」学説史の整理は、従来も行われてきたが、代々高官を輩出する家柄の存続を保証する制度の有無という観点から、学説史を検討する試みは行われていなかった。そこで本研究では、この点に焦点をあわせて、「六朝貴族制」学説の全面的検証を行い、代々高官を輩出する家柄の存続を保証する制度は存在せず、いわゆる「貴族」なるものも官職の世襲という点において、従来考えられてきたよりも限定されたものであったことを明らかにした。 上記の結論は、諸学説の論拠とされた史料解釈にまで踏み込んで、その有効性を確認する作業を通じて得られたが、新出の東晋時代の墓誌史料によっても裏付けられ、東晋貴族の婚姻や仕官は、家柄の等級である家格によって保証されていたと想定することは困難であり、それよりもむしろ、当人の父の官職に大きく左右されるほか、本人の資質や意向、さらには婚姻相手の家も含めた親族の援助など多様な条件が影響していたことが判明する。にもかかわらず、我が国において、家格と官職との間に密接な関係を想定する学説が有力となった背景の一つとして、平安貴族のイメージの投影があったのではないかと考える。さらに、唐の柳芳の「氏族論」に、六朝時代における家格と官職との対応を強調する記述があり、これが清朝の考証学者趙翼、さらに我が国の「六朝貴族制」学説の創始者、内藤湖南によって重視されたことも大きな要因と考えられる。
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