本年度は、主にラージャスターンの刻文収集・整理、および中世初期の施与勅書様式と国制に関する論考、さらに南アジア中世形成期の概論の作成に費やした。その内容は以下の通りである。 ・2月にラージャスターン南西部に点在する10-16世紀の寺院や遺跡を訪ね、刻文を中心に遺構の写真・ビデオの撮影を行った。100年近く前のD.R. Bhandarkarの調査報告をもとに、古寺院や遺跡を訪ねたが、当時と同じように保存されているとは限らず、それどころかすでに消滅してしまっていたり、現地の人々にも所在がわからなくなっているものも少なくなかった。しばしばジャイナ寺院では刻文を白地に赤ペンキで文字をなぞって読みやすくしようとしているが、そのほとんどが刻文を読めておらず、元の刻字を無視して処理されており、事実上史料の破壊となっている。それでもNarlaiのジャイナ刻文など、保存状態のよいものも少なくなかった。またラージャスターン南部の旧都Candravatiでは城壁跡が一部残っていた。この地の寺院群については70年代に1度調査報告書が出ているが、城塞については全く未調査であり、今後考古学調査が強く望まれる。 ・9-10世紀プラティーハーラ朝の銅板施与勅書様式に関する論考を公表した。プラティーハーラ朝宗主の施与勅書は様式が固定しているが、そのサーマンタが発する勅書の様式はそのヒエラルキーにもとづいて異なっており、重層的王権構造の国制をよく反映している。勅書を王権の宣伝媒体と見なしているのは宗主ではなくサーマンタであること、勅書内容を碑文に顕彰する際に改編がなされることなど、国制上興味深い発見があった。 ・『南アジア史1・2』において、古代から14世紀までの国家と社会の展開について、報告者なりの見解をまとめた。
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