本年度は、主にラージャスターンの刻文史料の収集・整理、および研究の総括を行った。 ・3月にラージャスターン中央部および南西部に点在する寺院や遺跡をめぐり、刻文を中心に写真およびビデオ撮影を行った。特筆すべきは、昨年は見つからなかったSadriのJagesvar寺院が、実はJagnath Mahadev寺院という名になっていることが判明し、数多くの未刊行刻文の撮影に成功したことである。この寺院は100年以上前に調査されて以来、調査報告のなかった寺院であり、今回の調査で12世紀に刻まれた未登録の刻文が4つも発見され、しかもそのうち2つは翻刻が容易そうなほど非常に鮮明な刻字であった。この他にも20kmに位置するThanvalaでも未刊行の刻文を3件発見し、撮影した。 ・4年間の研究によって大筋でわかってきたこととして、(1)公文書である銅板勅書が、プラティーハーラ朝期(9〜10世紀)、地域政権期および奴隷王朝期(11〜13世紀)、トゥグルク朝衰退以降(14世紀半ば〜16世紀)の3期においてそれぞれ独自の様式をもち、各時期の王権の特質を反映している、(2)14世紀半ば以降は、勅書など公文書の地方語化、歴史叙述の言語がサンスクリット語から地方語へと転換、在地レベルの新興王家の出現、サーマンタ体制の崩壊からクラン政体およびマンサブ=ジャーギール体制への転換など、概して政治権力の在地化が見られたこと(ムガル朝はこのプロセスを基盤に成立したこと)、以上二点が挙げられる。その一部は、共著の英文論文にも反映させた。
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