研究概要 |
本年度では,昨年度にロシア連邦アルタイ共和国のゴルノ・アルタイ地方で調査蒐集した岩絵銘文について難解な字句を含む古代テュルク・ルーン文字銘文の解読作業を継続して行った。それと共に本地域においてゴルノ・アルタイ地方からサヤン・アルタイ地方において近年,その存在が確認された古代テュルク系遊牧民の埋葬墳墓や遺物についても関係論文や調査資料を蒐集整理する作業を行った。 またその成果の一端として,私は私費で2006年8月初旬にドイツのベルリン自由大学トルコ学研究所主催の第49回常設アルタイ学会に参加して,「古代テュルク遊牧民における聖山への信仰と礼拝」と題するテーマで口頭発表を行った。 また,私はゴルノ・アルタイ地方のアルタイ山脈から南側に位置する同地方の古代テュルク系の岩絵や銘文資料を考察しつつ,両地方文化の比較研究を行うための資料収差業として,同年9月5日〜20日まで,中国新彊アルタイ県を中心とした草原諸地域を訪れ,現地の博物館員や現地研究者の協力を仰ぎつつ,古代テュルク系遊牧民に関わる埋葬遺跡や岩絵を実地調査した。この調査を通して,私は古代テユルク系遊牧民の間にみられる聖山信仰の実態と埋葬遺跡に窺える彼らの自然観・死生観や信仰観についてより広域的・複眼的に資料を分析するための資料を獲得する機会を得たと確信している。 またこれに関連して私はサヤン・アルタイ方面の古代テュルク系遊牧民の間における信仰観から窺える碑文や遺跡の伝統的方位を比較考察するための基盤資料として,モンゴリアのビルゲ可汗碑文とそれの土台である亀石の当初の向きを19世紀末当時の諸報告書から明らかにすると共に,その亀石や碑文の向きに込められた当時のテュルク系遊牧国家と密接な関係を築いていた唐王朝との政治・文化的連関性についても考察を加えた。
|